092「おじさんおばさんはインスタやらないで」という若者からの悲痛な願い

2016年1月30日、デジタルコンテンツ プラットフォームであるnoteに “かおりんた” さんという女性ライターが、こんなコンテンツを掲載しました。

 

お願いー 目上の方々、おじさんおばさんは インスタやらないで(中略) facebookの若者離れが話題になってるけどそれっておじさんおばさんが始めたからだと思ってる。だって、親や親戚のページ見たくないし、自分の見られたくないし、小学校の時の先生から申請きた時はどうなることかと思ったよ。 断れないし。そりゃどんどん若者は離れるよ。意味不明な広告も増えるし。だってそれまで、Facebookは友達とだけの世界だったのに。そして、若者はinstagramに移行したと言われているインスタは比較的まだ、若者だけの世界だったと思ってる インスタは、facebookとは違い実名制じゃないし相互フォローも必須じゃないし守ろうと思えば自分と友達だけの世界、聖域は守れるとは思うけど。親、親戚、上司に探されたくない。フォローされたくない まとめると、ネットと実社会のキャラが微妙に違っていて、SNSではネットのキャラになれたのにリアルな知り合いの目上の方々とそこで繋がると色々崩壊するんだよね。リア充アピールは、友達にしてるわけで、上司や親戚にしてるわけじゃない。Facebookは小学校の先生、高校の先生、上司、友達のお母様と繋がってからもうほとんど何もアップしてない。*1

 

この記事は大きな反響を呼び「本投稿に対して、様々なご反応をいただきました。投稿の多くは、気分を害された方が多くいることがわかり、私の配慮の足りなさと意見の稚拙さを反省するばかりです。申し訳ありませんでした。」という内容の追記までされました。ボクは”かおりんた” さんに激しく共感し、instagramについてはIDは持っているものの投稿をしたことはありません。

 

リアルなコミュニティーの構築に対してのリスクに怯える若者にとって、SNSは真のコミュニティーのような存在なのでしょう。コミュニティー(community)は、本来居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。*2 という意味です。つまり、SNSをコミュニティーとして捉えるなら、利害をともにしない、風俗・習慣などで深い結びつきがないヒト同士が混在して当然かも知れません。

 

以前、コミュニティー心理学を専門とされる方とお話しさせていただいた折に「コミュニティーを脅かすヒトは、コミュニティーのメンバーにとって異常者である」というお話を伺ったことがあります。コミュニティーのメンバーは無意識のうちに風俗・習慣などを基準として “かおりんた” さんのいう「おじさんおばさん」と「若者」というように「こちら側とあちら側」の二つに分類します。

 

コミュニティーの風俗や習慣などの基準に合わないヒトの行動や行為や存在が、コミュニティーのメンバーにとって違和感を感じる場合、本人が「私は同じ風俗や習慣などの基準を持っている」といっても認められませんし、それを決めるのは本人でも、裁判所や医者でもなく、本来のコミュニティーのメンバーであり、メンバーにとって違和感を感じる行動や行為、存在そのものが、そのヒトとコミュニティーを隔てる壁となります。そのことが “かおりんた” さんの書いたコンテンツを読むとよく判ります。

 

ボク自身も大勢の息子の友達とFacebook上で繋がっています。そして最近、若者たちのPOSTが激減している現状を目の当たりにして、 “かおりんた” さんのような若者に申し訳ない気持ちになっています。多くの解釈があると思いますが、ボクはFacebookをコミュニティーではなく、メールのようなコミュニケーションメディアだと感じています。例えば、このBlogもFacebookにLinkをPOSTしています。そのPOSTを見て読みたいと思っていただけるヒトは読んでいただければ良いし、読みたくないヒトは「どうぞスルーしてください」と思っています。

 

メールだと「読みなさい」または「読んでください」ってイメージになるし、Blogだけだといつ更新したか頻繁に見ていただかないと判らない。そういう意味でFacebookにリンクをPOSTをするというのは、PushでもPullでもなくて絶妙です。過去には「リア充アピール」的なPostもしていましたが、その過ちに気付き、最近はメッセージ機能、グループ機能、イベント機能などの利用がもっぱらで、Time LineはBlog Linkと、たまに見つけた誰もシェアしていないだろうと思われる動画のシェア程度です。

 

話は変わりますが、時代が進むにつれ、個体の生理学的・生物学的成熟が早まる「発達加速現象(developmental acceleration)」という現象があります。この発達加速現象でいわれる「発達」には、量的側面が加速する現象を「成長加速現象」といい、初潮や精通などの性的成熟や質的変化の開始年齢が早期化する現象を「成熟前傾現象」というふたつの側面があります。世界的には年々顕著になってきているとされていますが、日本では、近年やや加速度が低下してきており、こうしたことから、個体の発達や成熟を規定する環境要因、例えば、生活条件の変化による栄養状態の改善、都市化や工業化などの刺激による神経生理学的な影響などが関係していると考えられています。

 

成長加速現象については、過去より現代のほうが身長・体重・胸囲などの体格が著しい向上を遂げており、体重・胸囲も大きくなっています。中学3年生の15歳男子の身長を各時代ごとに比較すると、1900年が152.1cmだったのに対し、2009年は168.5cmで10cm以上も高くなっています。同様に中学3年生の15歳女子の身長でも、1900年が144.8だったのに対し、2009年は157.3cmとなり10cm以上も高くなっています。

 

最近では身体的な成熟に至るまでの時間が短くなっていますが、思春期が始まって身長・体重が急速に増え始める時期についても、男性で約2年間、女性で約1年間、戦後の時代よりも早くなっているようです。想定される要因としては、食文化の欧米化と栄養状態の改善(高カロリー・高脂質の食事の増加)、椅子に座る生活様式、公衆衛生環境の向上などが考えられますが、身体発達と精神発達とは必ずしも相関していないため、小中学生で大人並みの体格になる子どもがいるとしても、その内面や価値観、行動基準にはまだまだ子どもらしい未熟さ・短絡性・衝動性・依存性などを残しています。

 

また、若者の精神的・経済的自立の遅れが目立ちやすかったり、他者への依存性・消極性が見られたりすることもあり、身体発達と精神発達とのアンバランスが心理発達臨床における課題になってきました。その精神発達の遅れや発達課題の未達成、他者への依存性(自立困難)といった問題は、じつは10代~20代前半の若者だけの問題ではなく、20~40代以上の広い年齢層を含む大人世代の性格的・社会的な問題にも発展し、価値判断の未熟化・行動様式のネオテニー化(退行現象)が進む「大人世代の退行現象」というも起こっています。その背景には、大人の未熟さ・幼児性を受け容れてくれるような余裕のある社会環境が整備されたことも理由として考えられます。

 

つまり、大人っぽい見かけながら子供っぽい考え方の若者と、大人っぽい見かけながら子供っぽい考え方の大人が混在する社会になってしまったといえます。今回のテーマであるコミュニティーの棲み分けについても成長加速現象と大人世代の退行現象が影響しているとボクは考えています。

 

*1 かおりんた著『1/30 追記有 instagramについて』(2016/01/30 22:30 note)
*2 監修/松村 明 編集委員/池上秋彦・金田 弘・杉崎 一雄・鈴木 丹士郎・中嶋 尚・林 巨樹・飛田 良文『デジタル大辞泉』小学館

 

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