102 兄姉と弟妹と末弟末妹では経営者に向いているのは誰か?

2013年12月13日、心理学思想の書籍としては驚異的な売上、100万部を突破するベストセラー『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』が発売されました。そして、その続編となる『幸せになる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教えII 』が、2016年2月26日に発売されました。

 

オーストリア出身の精神科医・心理学者であり個人心理学の研究者であったアルフレッド アドラー(Alfred Adler)は、PTSD研究者であり精神分析学者・精神科医であったジークムント フロイト(Sigmund Freud)と、分析心理学の研究者であり精神科医・心理学者であったカール グスタフ ユング(Carl Gustav Jung)と並び「心理学の三大巨頭」と称されながら、日本ではフロイトやユングほど認知されていませんでした。

 

そして、そのアルフレッド アドラーが唱えた「アドラー心理学(個人心理学)」を日本でメジャーにしたのが、『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』の発刊でした。

 

出版社であるダイヤモンド社の内容説明文によると、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な“答え”を提示します。とありますが「この一冊でアドラー心理学が理解できた」という方は少なかったのではないでしょうか?今回の『幸せになる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教えII 』は、その回答本だろうと楽しみに拝読させていただきました。

 

人は幸せになるために生きているのに、なぜ「幸福な人間」は少ないのか?「自立」とは何か?「愛」とは何か?そして、どうすれば人は幸せになれるか?というテーマについて語られているなかで、 兄姉、弟妹、末弟末妹、それぞれの心理哲学や、それぞれが経営者の場合、どのような経営者であるのかということも論じていましたので、今回はその点について書きます。

 

さて、第一子またはひとりっ子の場合どんな「傾向」があるのか?第一子、またはひとりっ子の場合、最大の特権は「親の愛をひとり占めしていた時代」を持っていること、第二子以降に生まれた子どもは、親を「ひとり占め」する経験を持ちません。常に先を行くライバルがいて、多くの場合は競争関係に置かれます。ただし、かつて親の愛をひとり占めしていた第一子も、弟や妹の誕生によって、その地位から転落せざるをえません。この挫折とうまく折り合いをつけられない第一子は、いつか自分で再び権力の座に返り咲くべきだと考えます。アドラーの言葉によると「過去の崇拝者」となり、保守的な、未来について悲観的なライフスタイルを形成していきます。

 

さらに、力と権威の重要性をよく理解し、権力の行使を好み、法の支配に過大なる価値を置く。まさに保守的なライフスタイルです。ただし、弟や妹が生まれたとき、すでに協力や支援についての教育を受けていれば、第一子は優れたリーダーになっていくでしょう。両親の育児を模倣して、弟や妹の世話をすることに喜びを見出し、貢献の意味を知ります。 *1

 

次に、ひとりっ子の場合、ライバルとなる兄弟はいませんが、父親がライバルになり、母親の愛を独占したいと願うあまり、父親をライバル視してしまう。いわゆる、マザーコンプレックスを発達させやすい環境にあります。周囲を見渡しながら、いつか自分にも弟や妹が生まれ、この地位を脅かされるのではないかという不安に晒される。あらたな王子、あらたなお姫さまの誕生を、ことのほか怯えて暮らしています。また、ひとりっ子の両親には、「経済的にも、労力の面でも、自分たちにはこれ以上の子どもを育てる余裕がない」と考え、単独子のまま子どもをつくらない夫婦がいます。彼らの多くは人生に臆病で悲観的です。家族の雰囲気も不安に満ちており、たったひとりの子どもに過大な重圧をかけ、苦しめることになるでしょう。*1

 

次に、第二子には、常に自分の前を走るペースメーカーがいます。そして、第二子の根底には「追いつきたい」との思いがあります。兄や姉に追いつきたい。追いつくためには急がねばならない。絶え間なく自らを駆り立て、兄や姉に追いつき、追い越し、征服したいとさえ目論んでいる。法の支配を重んじる保守的な第一子と、誕生順位という自然法則さえ覆したいと願っている。ゆえに第二子は、革命を志向します。第一子のように既存の権力におさまろうとするのではなく、既存の権力を転覆することに価値を置くのです。また、弟にとって大切なのは「みんなと違うこと」です。お父さんやお兄さんと同じ仕事を就いたら、注目を得ることができないし、自らの価値を実感できません。*1

 

第二子は承認欲求に搦めとられている。どうすれば他人から愛されるのか、どうすれば他者から認められるのかばかりを考えて生きている。「他者から認められること」を目的とした、「他者の望むわたし」の人生を歩み、「愛されるライフスタイル」を強化しながら年齢を重ねて、大人になっていきます。*1

 

では、三男三女の場合はどうか?幼少時代から、なにをやってもお兄さんのほうが年上で、力にも優れ、経験も勝り、到底勝ち目はなかった。「一般的に末っ子は家族のほかの者とはまったく違った道を選ぶ。すなわち、もしも科学者の家庭であれば、音楽家か商人になるだろう。商人の家庭であれば、詩人になるかもしれない。いつも他の人とは違っていなければならないのである」*1 そうです。

 

これまでアドラーが論じていることを、ボクなりに簡潔にすると「長男長女は、力と権威の重要性をよく理解し、権力の行使を好み、法の支配に過大なる価値を置き、悲観的かつ保守的なライフスタイルだが、弟や妹の世話をすることに喜びを感じる」となり、「次男次女は、既存の権力を転覆することに価値を置き「みんなと違うこと」という革命を志向する」となり、「三男三女は、家族のほかの者とはまったく違った道を選ぶ志向にある」となり、「ひとりっ子は、マザーコンプレックスを発達させやすく、その両親は人生に臆病で悲観的で、家族の雰囲気も不安に満ちており、ひとりの子どもに過大な重圧をかけ、苦しめることになる」と整理しました。

 

これらアドラーの概念に基づいて、同族会社の経営を例に考えると、悲観的かつ保守的で、権力の行使を好み、法の支配に過大なる価値を置く長男長女が代表取締役には適任であり、次男次女は本業とは違う事業で子会社や関連会社の代表取締役に就くことが理想的といえるでしょう。また、三人兄妹の場合は、長男長女には弟や妹の世話をすることに喜びを見出しす特徴を生かして、代表取締役を務める長男または長女のいずれか片方を社内のマネージャー的地位に置くことも理想的な体制だといえます。

 

ただし、本書の中でも「この分類はあくまでも人間理解の一助であり、なにかを決定するものではないのですから」という注釈もありますので、決定論として捉えるのではなく、相対論として捉えていただけると有り難いです。いずれにせよ、アドラーの概念は一通のブログ記事で簡潔に論じられるような希薄なものではなく、広深な概念ですから、このブログを読んでいただいてアドラーの唱える個人心理学にご興味を持った方には『幸せになる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教えII 』を一読されることをおススメします。

 

*1:岸見 一郎 , 古賀 史健(2016)『幸せになる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教えII 』ダイヤモンド社 参照

 

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