105 オープンソース化ができてない会社に未来はない

オープンソース (open source) とは、言葉通りにはソースコードを公開することと理解できる。Open Source Initiative は、「オープンソース」と名乗るための要件を定義している(後述)。History of the OSIによれば、1998年2月3日に、パロアルトにおいて、Netscapeブラウザのソースコードをどのような形で公開していくかという戦略会議の中でつけられた新たな用語であると説明している。またオープンソースに関する本 “Open Sources: Voices from the Open Source Revolution” にも、マーケット向けのプロモーション用語として使う新しい言葉“オープンソース”を作り出したとある。*1

 

これは、Wikipedia日本語版によるオープンソースの定義です。本来オープンソースとは、ソースコードをオープンにしたフリーソフトを示す言葉として使われてきましたが、このWikipedia日本語版の定義の巻末にあるように、最近ではマーケット向けのプロモーション用語として使われる機会が増えてきました。

 

昭和時代に社会人になられた方々にとって、クライアントとの情報交換のためのツールは電話がメインデバイスでした。クライアントから入電があると、電話を受けた女子社員が「◯◯課長、◯◯株式会社の◯◯部長からお電話です」とフロア全体に聞こえるようにアナウンスすることも珍しくありませんでした。

 

また、電話をフォローする目的でFAXも頻繁に使われ、FAXでデータが送られてくる度に女子社員が、宛先の社員のデスクに運ぶ姿も日常の姿でした。また、手書きされた売上伝票が女子社員のデスクの上に山積みになっていました。

 

今から考えてみると、電話やFAXの一つのアクションに2人のスタッフがかかり、山積みされた伝票はセキュリティレベルは低く「極めて非効率」と感じる方も多いことでしょう。

 

しかし、僕はこれらの昭和スタイルが社内のオープンソースに貢献していたと感じています。女子社員が「◯◯課長、◯◯株式会社の◯◯部長からお電話です」とフロア全体に聞こえるようにアナウンスすることで、誰が今どんな仕事をしているのかを全員が認識し、しかも、電話の会話も聞こえているので、その進行が順調なのか?困難なのか?声のトーンで容易に認識ができました。Eメールでは、情報の受信者以外が進行の様子が見えません。さらに、FAXや山積みされた伝票によって、いつ上司の査察が入るか判らない環境が生まれデータの不正化を防いでいました。

 

一見”非効率”に見える昭和スタイルに企業におけるオープンソース化の秘策があるといえます。多くの企業が社内におけるオープンソース化の必要性を感じ、最近ではSalesforceやサイボウズなどのクラウドベースのグループウェアを使うケースが増えていますが、それだけで情報の一元化は難しく、同時にLINEなどのSNS Messengerを使い、小さなコミュニティを構築して情報を共有するケースも多いようです。

 

古来日本の文化では「和を持って尊し」という思想があり、私たちはその思想に基づき教育を受けてきました。確かに「和を持って尊し」の思想を尊重し「和」を形成することに努力すれば、結果オープンソース化された集団が形成されるかも知れませんが、その過程における意見の対立や摩擦を避け、無意識に努力なく出来た「和」を尊重してしまう傾向があります。

 

さらに、同じ入社年度や同じ出身校、同じ思想など共通する部分が多いヒトと無意識に集団を形成してしまう「類似性の原則(類似性による親近効果)」という心理作用が働きます。LINEなどのSNS Messengerを使い小さなコミュニティを構築することも、この傾向の現れだと解釈できます。幸いその小さなコミュニティに所属できた人々は、偽りの和に守られ快適に過ごすことができますが、一旦和を外されたヒトは次第に思想の差が拡大して行きます。

 

これは、社会問題となっている「いじめ」にも通じる危険な行為です。合意形成論や地域政策論を専門分野とする千葉商科大学 田中美子 教授は、著書『いじめのメカニズム』の中でいじめの定義を「同一集団内の主体間の相互作用過程において優位に立つ一方が、集合的に、他方に対して反復・継続的に精神的・身体的苦痛を与える行為」と規定しています。

 

さらに、イギリス生の心理学者であったウィリアム マクドゥーガル(William McDougall)は、群集心理には(1)過度の情動、(2)衝動性、(3)暴力性、(4)移り気性、(5)一貫性の欠如、(6)優柔不断、(7)極端な行為、(8)粗野な情動と情緒の表出、(9)高度の被暗示性、(10)不注意性、(11)性急な判断、(12)単純かつ不完全な推理、(13)自我意識、自己批判、自己抑制の喪失、(14)自尊心と責任感の欠如による付和雷同性、の14項の特徴が有ると報告しました。このようなことから、無意識に形成された集団の中では謝った意思決定が行われる可能性が高くなるといえます。

 

昭和版オープンソースでは、企業内や部署内において小集団が形成されることなく、群集心理が働かない「個の意思決定」が企業内や部署内の意思決定に大きく影響していましたが、現在では群集心理によって曲げられた意思決定が、企業内や部署内の意思決定に直結してしまうことが頻繁に起こっているのではないでしょうか?

 

「私たちで話し合った結果◯◯でした」や「じつはみんな◯◯を望んでいます」というような部下からの意見は、群集心理が作用していることを経営者は認識しないと、間違った結果に導かれてしまうことにお気づきいただきたいと僕は考えています。

 

*1:Wikipedia日本語版『オープンソース』
*2:田中美子2010『いじめのメカニズム』(世界思想社)

 

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